空気の読み方を教えよう。

 空気の読み方を教えよう。

_/_/_/_/空気が読めない私_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
 「空気を読め。」これを言われたことがある人は、少なくないだろう。職場とか、学
校とか、いずれにしても、人との交流の場で使われる表現だ。ここで、全体の流れを崩
すような言動だったり、全体が特定の人に伝えたくないことを伝えてしっまたりする
と、それをした人に対する批判として挙がる言葉である。これを必ずしも読解できる
(空気を読める)わけではない。少なくとも、私はそれは難しい。このように、「空気が
読めない。」という人へ向け、(空気が読めない私が私なりの)「空気の読み方」を書き
たい。
 
 
_/_/_/_/空気は読めないもの_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
  空気は基本的に読めないものだ。言葉でさえ完全な伝達というのは難しいのに、記号
化すらされていない状態で、且つ、いつ何時現れるかさえわからない「空気」なるもの
を読み解くことはできないものだといっていい。まず、ここを認識したほうが良い。
 
 
_/_/_/_/では、空気は読めないのか_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
  ただ、どうも少なくとも「空気」を読み、全体のバランスをとりながらやってのける
人はいるようだ、私はこれの習得に苦戦した。ここでは私が私なりの「空気の読み方」
を習得した方法を順序立ててだてて説明したい。これは私の一例に過ぎないから、万人
に共通することではないであろうし、共通する部分があっても同じだけの効果を発揮す
るかは怪しい。
 
 
_/_/_/_/私が「空気の読み方」を獲得した方法_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
 
 
全体を客観視する。
 
  空気を読むということは、何らかのグループに所属していることであろう。そのグル
ープにおける意見の動向を客観視するということ。これは自分が推し進めたい意見や、
逆に通したくない意見など、具体的な感情などすべてを除いて、意見の動向、傾向、
etcを完全に第三者として見通すということ。ここでは必ず客観性をもって見通すとい
うことが必要になる。
 
 
意見をすべて疑う。
 
  ①が済んだ後は、解析した意見をすべて疑ってみるとよい。特に、多い意見や、人気
のある意見(意見に人気も何もないと思うが)にこれを行うと効果があると考える。これ
を行うことで、すべての意見を客観視できる、と考える。これにより、全体に流されな
い判断を行うことができる、そうすると自ずと空気を読み、そしてその空気に流されな
い力を養うことができる。私なりの空気の読み方の肝はここにあると考える。人は自己
判断を避け、当たり障りのないように行動する。これは空気を読むとは違う、空気に流
されることになる。これではせっかく読んだ「空気」も何も意味をなさないこととな
る。これは空気を読まないのとなんら差異がない、と考える。
 
 つまり、空気に流されない、このために空気を読む。ということ。
 
 
流されない意見を持つ。
 
 すべての意見を疑うと、大多数の意見にもデメリットが現れるだろうし、少数の意見に
も、大多数の意見を超えるメリットも現れてくると思う。ここで初めて自分の意見を確
立するとよい。もちろん既存の意見を選ぶもよいし、自分で新たな考えをするのもよ
い。いずれにしても、ただ流されるだけのままの意見ではよくない。自分の意見を持つ
だけでも、空気に流されず、少しなりとも満足できる結果を生むと、私は信じる。
 
 
 
_/_/_/_/結論_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
 世間一般にいう、「空気を読む」というのは、およそその空気に流されることを言う
ようだ。ただ空気に流されることは、空気を読まないでもできることだ。空気を読むこ
とができるならば、その空気に流されず、自分の意見を持つことが、その能力に見合っ
た行動だといえるだろう。